白藤プロジェクト
白藤プロジェクトとは
江戸末期から昭和初期にかけて、新潟県に「白藤(しらふじ)」という酒米がありました。
丈が高く機械による刈り取りが困難で倒れやすいため、収穫も多く見込めないことなどから栽培されなくなった幻の酒米です。
この「白藤」を復活させ、現代風にアレンジした商品を開発するため、白藤復活プロジェクトは始動しました。東京家政大学教授で医師の中村信也先生が長岡の当社を訪れたことをきっかけに、みるみる大きなプロジェクトに発展しました。
白藤とは
幻の米【白藤】
明治・大正時代を経て昭和の初期(1930年半ば)まで、新潟県酒造米花形種の「白藤(しらふじ)」というお米がありました。
「風味よくサバケいい、本当の新潟らしいお酒になる」と古きよき時代の杜氏が語っていたといわれる伝説の酒造米です。
白藤は、明治26年の「亀の尾」にさかのぼること半世紀といわれ、その発生は江戸後期といわれています。来歴は古く、原産地は東北ですが県名は不明です。
白藤で醸したお酒の評価は、
「淡口に感ずれど口中のサバケよく酒質良質」
「香気やや低き感あるも、風味に富み、肌豊かにして口中すべりよし」
と、主流の「亀の尾」と人気を二分するほどの酒造米でした。
絶滅の危機を乗り越えて
なぜ白藤が絶滅の危機を迎えてしまったのか。
白藤の稲は「野毛」という長い毛がついています。これは鳥などから身を守る米の鎧のようなもの。 現在主流のお米は農家が作業しやすいように品種改良されており、野毛も機械での刈取りの効率化や倒伏しづらくするため短くなっています。
そんな手間のかかる時代遅れの白藤は新しい品種に押されて次第に育てられなくなり、姿を消していきました。 2004年、絶滅寸前だった白藤の種籾、わずか800粒を譲り受け復活を目指し栽培を始めました。
少しずつ量を増やしていき、今では田んぼいっぱいに白くて長い、麦のような野毛が特徴的な稲穂が揺れています。
田植え
毎年5月初旬に「白藤」の田植えを行います。
田んぼに昔ながらの「ゴロ」で印をつけ、泥だらけになりながら一本一本丁寧に手植え。
草取り
自然な田んぼにはたくさんの草が生えます。
雑草が活発に育つ7月に、田んぼに入って1本1本取ったり、手押し除草機で白藤の成長を妨げる雑草を根気よく取っていきます。
稲刈り(収穫)
9月は稲の収穫シーズン。
学生たちが鎌で丁寧に刈り取り、今ではあまり見かけることもなくなった「はざがけ」稲を乾かします。
酒造り
白藤を使った日本酒の仕込みは2月に行います。
蒸し上げた白藤に麹菌を混ぜ合わせ、タンクに入れて櫂入れを行います。